Home > Column > 2017 Vol. 4 Print this page
コラム
2017 Vol. 4 PDF 版


ドライマーケットがぎりぎり投資効果レベルまで回復したと思ったら、足許で躓いている・・・。
矢張り中国が背景にあるようです。大局的には回復基調は維持されるでしょうから、余り心配はしておりません。

最近、中国四川省の成都に行きました。成都は全くの内陸ながらIT、繊維工業、農業、観光が主な産業でPM2.5の問題もなく比較的整備された都市です。観光では、九寨溝、黄龍、峨眉山などが国の内外を問わず非常に高い集客力があります。にも関らず、高速道路、高速鉄道が建設中で、あのだだっ広い中国だけに未だインフラが整備途上であり、鉄鋼製品などの資機材、人材の需要が途切れることなく旺盛と感じました。経済、金融の実態、それに関わる統計数値に不詳な点はありますが、中国が世界の中で大国になったことは間違いありません。出入りの物量は海運市況に即刻影響しているのです。無視はできません。今後とも、中国の外交を含めた政治、経済動向については注視すべきです。

トランプさんも金さんも「口ほどには事は動かず」の感があります。トランプさんの一挙手一投足は海運市況に直接的であれ間接的であれ影響があります。金さんは、いくら非常識であっても、暴発することはないでしょう。極地的であっても「戦争」は一般国民に甚大な被害を及ぼすもので起こってはならないことなのです。

戦(いくさ)に関して閑話休題。

北海道、江差町に行きました。江差町は「江差追分」で全国的に有名で、年に一度の追分大会では来客で人が溢れます。その江差湾に実寸大の「開陽丸」が係留されているのです。江差町役場の観光課に船内案内を頼みましたが、追分大会に傾注して、「開陽丸」を観光資源とする意識に欠ける印象がありました。幕末、西郷隆盛が率いる西軍の攻勢があり、最後の将軍である徳川慶喜が江戸城無血開城に至った際に、開陽丸を新政府軍に譲渡することを断固として拒否し続けたのが榎本武揚艦長でした。榎本は、あの土方歳三らを引き連れて北海道五稜郭に向かったのです。しかし、江差沖で「タバ風」と呼ばれる土地特有の風浪に押され座礁、沈没・・・。近年、海底の兵装、食器などを引き上げて実物大の「開陽丸」を復元したのです。因みに、「開陽丸」は1862年幕府が長崎のオランダ商社経由、オランダのヒップス・エン・ゾーネン造船所に発注、1865年浸水、LOA/B/d 72.8/14.04/5.7(前部)6.4(後部)米3本マスト、400馬力蒸気エンジン、最大12K、備砲35門等、当時世界の戦艦でも最新、最大級のものです。

話はさらにさかのぼりますが、最後の将軍である徳川慶喜は大坂より、夜間「開陽丸」に乗船して江戸(浜離宮)に向かいました。一般的には「逃亡した」と言われますが、慶喜は江戸に戻って西軍に対峠する意図はさらさら無かったと想われます。西郷隆盛とも交流のあった勝海舟は江戸城開城を進言したに違いなく、慶喜とて時代の潮流を察知し、西軍と「戦争」しても多くの犠牲者がでるだけで、それを回避すべきであると、又、当時、軍艦を日本に配備していた欧米列国の日本を占領しようという(植民地化)意図も看破していたに違いありません。「開陽丸」に乗船中にかかることに思いを馳せていたのでしょう。
蛇足ながら、想像ですが、「開陽丸」の船価は石見銀山から採掘された銀で支払ったのではないでしょうか? 長崎のオランダ商社はガッポリ儲けたことでしょう。

  

  

船に携わる皆さんも、北海道に旅されるときは、江差に寄って「開陽丸」を見学してください。函館からバスあるいは汽車で約一時間。

 

野田 著


Get Adobe Reader PDF ファイルをご覧になるには Adobe Reader が必要です。